講師紹介

NWHスポーツ救命協会講師プロフィール

蝶野正洋

アリストトリスト代表取締役

第22代IWGPヘビー級王者

1963年、米国ワシントン州シアトル出身。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日の武藤敬司戦でデビュー。1987年3月に海外遠征に出発。1989年10月に帰国後、1991年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未到のV5を達成し、1992年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にはnWoジャパンを設立して一大ムーブメントを起こし、その後、TEAM2000を結成。2010年2月に新日本プロレスを離れてフリーとなったが、いまなお絶対的な存在感を放ち、黒のカリスマとして、プロレス界に君臨し続けている。現在はリング以外にも活動の幅を広げ、TV、イベント、講演に出演するなど、多方面で活躍している。近年は救急救命啓発活動に力を入れており、2010年9月に東京消防庁から救急医療活動への協力が評価され、消防総監感謝状を受け取り受領。2014年7月には救急救命の啓発活動を主とした一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立している。

飯田覚士

ボクシングジム「ボックスファイ」会長

第9代WBA世界スーパーフライ級王者

1969年、愛知県名古屋市出身。大学入学と同時にボクシング部に入門し、ボクシングを始める。90年にバラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」に参加。91年にプロデビュー。甘いマスクで人気を博す。94年に日本チャンピオン、97年には三度目の世界挑戦で悲願のWBA世界スーパーフライ級王座を獲得。KO負けやケガでブランクを作るなどの挫折を味わいながらも、熱心な練習と科学的トレーニングにより世界最高峰にまで登りつめた。二度のタイトル防衛後、98年に引退。現在は、ボクシングを趣味として楽しめるジム「ボックスファイ」を開設。キッズコースは、現役中から取り入れていたビジョントレーニングを現代の子ども向けに改良したプログラム「ボックスファイキッズ」を考案し、直接指導にあたっている。2010年9月、東京消防庁から救急医療活動への協力が評価され、消防総監感謝状を受け取っている。

岩崎由純

日本ペップトーク普及協会会長

バルセロナ五輪帯同トレーナー

1959年、山口県周東町出身。日本体育大学体育学部卒業後、米国のシラキューズ大学大学院修士課程で「アスレチック・トレーニング」を専攻する。全米アスレチック・トレーナーズ協会(NATA)公認アスレチック・トレーナー、日本体育協会公認アスレチック・トレーナーの資格を持つ。ロスアンゼルス五輪(1984年)、バルセロナ五輪(1992年)に帯同トレーナーとして参加。全日本バレーボールチーム帯同トレーナー(1991~92年)など、アスレチック・トレーナーとして活躍する。日本アスレチック・トレーナーズ機構(JATO)元副会長。現在、日本ペップトーク普及協会会長、日本コア・コンディショニング協会(JCCA)会長、日本オリンピック委員会(JOC)強化スタッフ、トレーナーズスクエア株式会社代表取締役社長、NECレッドロケッツのコンディショニング・アドバイザーを務める。2010年9月、東京消防庁から救急医療活動への協力が評価され、消防総監感謝状を受け取っている。

小橋建太

FortuneKK代表取締役

第6代GHCヘビー級王者

1967年、京都府出身。1987年6月に全日本プロレス入門し、1988年2月にデビュー。全日本プロレスでは、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座を獲得するなど、1990年代後半からプロレスラーとして一世を風靡する。2000年にプロレスリング・ノアに移籍。2006年6月には腎臓癌が発覚。546日の闘病生活を経て、2007年10月に戦線復帰。しかし、レスラーとしての実績は高く、数々のタイトルを取得し、特にGHCヘビー級王座にあった2年間は、13度の防衛に成功し、いつしか「絶対王者」と呼ばれるようになった。戦線復帰を果たした後も活躍を続けたが、2013年5月に現役を引退。現在は癌や様々な怪我を乗り越えた経験を背景に、夢やチャレンジ、諦めない大切さについて語る。“夢の実現”、“命の大切さ”などをテーマに小橋らしい熱い想いとまっすぐなメッセージを届ける。また、プロレスを少しでも広めていきたいという想いから、2014年よりプロレスエクササイズチャレンジを開始。2015年5月には尚美学園大学の講師にも就任し、プロレスのみならずスポーツ全般の普及に努めている。

鈴木健三

船橋市消防団

元WWEタッグ王者&世界タッグ王者

1974年、愛知県碧南市出身。進学した明治大学でラグビー部に在籍し、大型ロックとして活躍。1995年より2年連続で大学日本一を経験している。1999年4月に新日本プロレスに入団し、2000年1月にデビュー。同年の第8回ヤングライオン杯を制し、プロレス大賞新人賞を受賞。2004年からは拠点を海外に移し、アメリカメジャー団体のWWEに「ケンゾー・スズキ」の名前で参戦して、同年9月にWWEタッグ王座を獲得。その後、メキシコのメジャー団体のCMLL、AAAと世界中のリングを渡り歩く。帰国後は全日本プロレスに参戦し、2011年6月に第59代世界タッグ王者(パートナーはグレート・ムタ)となる。2015年からはフリーランスとして日本のさまざまな団体に参戦。現在はプロレス活動と並行して、生活の拠点である船橋市で消防団に所属しており、また千葉レスキューライオンズクラブの一員として地域防災活動に従事している。

中島敏彦

元東京消防庁職員

元東京防災救急協会職員

1948年、長野県出身。1970年に東京消防庁入庁し、「自然災害・火災・爆発・危険物災害活動や取材対応」「防火・防災・救急活動の普及啓発」「防災関係講習の講師」「都民・事業所の防災行動力向上の指導」「消防少年団・消防団の指導育成」「建物検査・査察の実施」「防災図書等の企画・編集」「若手消防職員に対する指導」等、さまざま業務に携わる。2006年からは公益財団法人東京救急協会で「応急手当やAED・心配蘇生の普及啓発」を、2010年からは公益財団法人東京防災救急協会で「応急手当や防災資格者の指導育成」を行う。2013年からは東京消防庁防災専門指導員として、若年消防職員の指導を行い、2016年春に退職。現在は防災アドバイザーとして活動を行っている。

野上彰

1966年、千葉県習志野市出身。1984年に高校を卒業し新日本プロレスに入門。同年にデビューを果たし、1990年ヨーロッパやカナダ、プエルトリコ、オーストラリアを遠征し海外でのキャリアを積む。その後、眼の負傷から1998年に長期欠場を余儀なくされる。それを機に俳優としての活動を初め、演劇、映画、ドラマに出演している。2000年にはリング復帰し、同時に役者業もこなし、2008年にはパーソナルトレーナーとしても活動を拡げる。プロレス界に入って30年が経過したが、現役レスラーとしてなおも活動を続けている。2010年9月、東京消防庁から救急医療活動への協力が評価され、消防総監感謝状を受け取っている。

柴崎淳

2MC&1DJ 3人組ユニット クリフエッジ リーダー

(株)トリプルエス・エンタテインメント 代表取締役

1978年、神奈川県横浜市出身。2MC&1DJ 3人組ユニット ”クリフエッジ”リーダー。作詞、作曲、Trackアレンジ担当。2011年 福島県で行われた震災復興イベントにて蝶野さんと出会い、以降、クリフエッジのMVに蝶野さんが出演するなど、公私ともに親交を深めるなか、2015年 一般社団法人 NWHスポーツ救命協会 のテーマソング『スーパーヒーロー』を制作歌唱。また、蝶野さんの社会貢献活動に感銘を受け、普通救命講習Ⅰを受講。現在は他アーティストへの楽曲プロデュース、企業CM音楽など幅広く活動している。